暁の間

のらりくらりと…

何かが違う

《こんな生活がしたかった訳では無い》

 

洗面台を前にそう思いました。

 

 

 

今の生活でもワクワクがないわけではありません。

仕事があるような平日でもワクワクは存在します。

しかし、私はこんな生活がしたかった訳では無いのだとことある度に思うようになったのはいつ頃からだったでしょうか…。

少なくとも1年前からそう思うようになった気がいたします。

 

この手の話題は以前にも出したことがありましたね。

ただ、自分の気持ちに整理をつけるには同じ話題でも何度も吟味する必要があると考えています。

まして生活面となると1度きりで終わるようなものでは無いので尚更です。

それをブログでするべきでは無いと考える方もいるかもしれません。

けれど私はあえてありのままの自分をブログに書きたいと思って、公表できる部分はそのまま書こうと思っています。

 

昨日、新人が体調を崩した関係で一部の業務がとても忙しくなり、翌日(本日)の早出が決まりました。

そんな状況の中、昨日の帰る直前…私と2人きりとなった要の上司がこんなことを仰ったのです。

“具合悪くても来てもらわなくちゃ困っちゃうからな…。2人には来てもらわないといけないな。”

(2人というのは、私と後輩のことです。)

多少言い方は違うかもしれませんが、このようニュアンスを仰いました。

 

頭の中ではそうだろうなと分かっていたので、熱っぽくなくて動けるのなら無理してでも来ようと思っていましたし、今までも割とそうしておりました。

しかし、職場の上司から告げられるのとでは訳が違うと思うのです。

それは一種の強制であると私は思うのです。

 

この話が出た時はあまり気にしてなかったのですが、冷静に考えたらおかしい話だと思うのです。

なぜ具合の悪い時に休む権利がないのかと。

自分で判断してきてるのであればまだしも、上司判断で来なくてはならないのは何故だろうかと。

とはいえ、私は言う勇気がないのでここに留めておきます。

 

自分が求めていた仕事もさせて貰えず、向き不向きの判断がちゃんとできる前に、“できない無能”というラベルを貼られ、挙句の果てに“狂ってる”と言われた私はなぜそうまでしてここにいるのだろうか…

他部署に追いやられ、そこでもやりたい仕事に近いことをメインにやらせてもらえるはずだったのに、メインどころか1割にも満たないくらいしかさせて貰えません。

今の部署の居心地はよいのですが、そればかりに気を取られて、なんの技術も身につかないままでいいのでしょうか。

そう思わざるを得ない段階に入って来ました。

 

仕事でやらせて貰えないなら仕事以外でやるしかないのですが、時間が上手く作れないのが難点です。

会社で成長が見込めないなら自力でやって、資格まで取ってしまえば誰も文句は言えないでしょう。

今の会社で役に立つかどうかはまた別問題ですが。

 

そうやって足掻いた先にきっといい未来があると信じて、走り続けてみようかと思います。

 

お目汚し、失礼いたしました。

 

 

 

それでは今回はこの辺で失礼いたします。

どうぞごゆるりとお過ごしください。